在り方が変移する

お墓をアップデート!(有)やまにしです^_^

 

有限会社やまにしでは、お墓に関わる事業の中で、ペット火葬、ペット霊園を展開する”逢の杜ペット霊園”がある。

 

こちらは、お陰様で15,000件以上のお見送りをお手伝いさせていただいている。

そのほとんどに自分は関わってきたが、その数の経験値は人間の葬儀ではなかなか到達できない数字ではないかと思う。

 

その経験から感じることのひとつに、

死別後のかかわりについてのことがある。

 

逢の杜ペット霊園で火葬を経験された方は、お墓参りによくお見えになる。

逢の杜ペット霊園ではしっかりした合同墓を備えて、お墓参りや語らいの場を大切にしているので、そんな方々の温かい想いが集まることで、この霊園の良さが出来ている。有り難いことだ。

 

そんなお墓参りの方々と世間話をすることもあれば、適度な距離感で見守ることもあるのだが、ともかくもそのお参りの方々に共通していえることは、

 

ある段階からは”別離の悲しみ”で来られているわけではないということだ。

悲しみそのものは癒えている。

寂しさがないわけではない。

でも、それよりも。

あたたかな想い出が胸の中に存在している。

 

それはあたかも、

いつでもそばにいて

いつでも逢える。そして自分を愛してくれている確かな存在。

 

お墓とは、そのような幸せを感じるためのアンテナのようなものだともいえる。

 

ともに過ごした時間。かけがえのない想い出

いずれ必ず来る、別離のとき。

そしてこれからの関わり。

 

それらはひとつなぎのものであり、

相互につながっている。

どれかだけを切り離すことはできず、

死別したからといって、その縁が終わるわけではないということだ。

 

それは、在り方が変移するだけだと。

そしていずれは自分自身も、肉体を離れるときがくる。それは50年後かもしれないし、明日かもしれない。

だから焦ろう、と言いたいわけではないが、

死を想い、今を生きる

カルペディエム

メメントモリ

といった言葉にも、共通してこの捉え方が宿っていると思っている。