ときめき終活セミナーの報告と補足①!

いい供養いつまでも 有限会社やまにしです^_^

 

本日はくららにて、

お墓の終活セミナー講師として登壇させていただきましたʅ(◞‿◟)ʃ

私のはなしも時間配分を考えてはいたのですが、やはりといいますか足らず汗

なんと今回のタイトル、

“過去と未来を見据えた墓じまい”のタイトル回収ができぬまま終わってしまいました苦笑 

 

つきましては、その余韻の覚めぬうちに補足の内容をここで綴りたいと思います。 

 

過去とは

ここでいう過去とは言わずもがな、

ご先祖様 のことです。

両親、祖父母、そのまた曽祖父母と、

それらのどなたが欠けてもあなたは存在しません。そしてそのどなたにも、家族のストーリーがあります。

それは、決して幸せな記憶だけではないかもしれません。しかしそんなことさえも、あなたを形成する大切なピースなのです。

後述しますが、お墓とはそんな思い出さえも、あなたが今をよりよく生きるためのエネルギーに変換する機能があります。

 

未来とは

見据える未来とはなんでしょう。もしお子様、お孫さんや、ご親族の中で跡取りとなる人物がいる場合には、やはりその存在こそが”未来”と言えるでしょう。

しかしそういった状況になく、自分限りで家系をおさめる状況もありますから、その場合は”未来=これからの自分”となります。

つまりは、

「家系図の中で末端になる人物」

といえるでしょう。

家系図を川の流れに例えるならば、その支流ではなく源流の流れる方向ということですね。

※分家初代からの系譜が、支流→新たな源流となることは言うまでもありません^_^

 

そして現在

ここまでくればお察しのとおり、

現在 = あなた自身  となります。

あなたとは、果たして何でできているのか?

肉体の主たる成分は水と塩と、、、となりますがそういうことだけではなく、あなたという存在、個性を決定づける要素は何なのかということです。

それは色んな見方ができると思いますが、ここでは、いい供養研究所的な目線で見てみましょう。

時間は未来から流れている?

現代において多方面から研究されている、”量子力学”においては、なんと時間の概念自体が逆で、未来から過去へと時間が流れているという考察があるそうです。 面白いですねー。

 

しかしこれは、お墓の観点からみても合点がいく部分があるのです。 

突然ですがあなたは、過去は変えられないと思いますか? 

・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・。

まあ普通に考えて、起こった事実は変わらないですよね。しかし!!!

“未来”を定義することで、その過去に対する捉え方、意味合いは全く変わることができるのです。

あくまで事実は変わりません。その意味合いが変わるのです。

 

冒国民的人気漫画の主人公は、

「海賊○に俺はなる!!!」と、

自分の見据える未来を決定づけます。

そうすることにより、過去のもつ意味合いが変わり、ひいては現在進行形で進んでいる自分の選択が、その未来を実現する方向を選ぶようになるのです。

 

シャ○クスが腕を無くした事件でも、あのきっかけがあるからこそ物語のキーアイテム、麦わら帽子を託されたり、海へ冒険に出るためのモチベーションとなっていますよね。

これが例えば、腕を無くさせてしまった懺悔と後悔のためだけにその後の人生を過ごしていくような世界線や選択(パラレルワールド)もあるわけです。 漫画的主人公的にそうはなりませんが。

 

なりたい自分になっている

誰もが無意識に、こういった”未来”と”過去”の定義づけを行い、それに従って”現在”の選択をしている、とも考えられます。

つまりは、今の自分は、自分自身の選択の結果であり、その選択とは、自分自身への定義によるものだということです。

 

そしてそれは、変えられるし、変えていける。

わたしの考察として、お墓の究極の役割とは、実はここにあるのではないかとすら、今現在では思っています! 

 

どんな出来事も、

「有り難し」として感謝を循環させるエネルギーで生きるのか。

逆に、「○○○だからこうなってしまうんだ」というように、暗く重い波動で生きるのか。

 

信じるか信じないかはあなた次第です!

・・・もとい、

信じるべき正解があるわけではないのです。

あなたが選ぶその道が、あなたの真実となる。

あなた自身があなたの世界の創造主であるということですね。

 

墓じまいまとめ

①未来を定義する 

②その未来に近づく理由となるように、過去の捉え方を改変する

③その過去と未来の中心にあなたがいる。あなたの選択は、あなたがなりたい方向へ。

ここまでが大前提です。墓じまいの着地点はご家族により多種多様ですから、方法論としてこれが正解、というものはありません。

文中でも、家系図を川の流れに例えましたが、

仮に墓じまいをして遺骨の管理自体を手放すのだとすれば、それはその支流でエネルギーが滞らないように、しかるべき場所へ水の流れを変えてやる必要があります。 

樹木でも枯れ枝は取っておかないと、健康な枝の生育に悪い、ということと同じかもしれませんね。 

葉っぱのフレディと同じです。悲しいことではありません。それは尊く、勇気ある行為なのです。 

次回は、”永代供養”について掘り下げてみます。本日はここまで^_^