ご馳走様でした

日々、たくさんの方のお世話になりながら暮らしています。

 

しかしそれは、自分の目や意識の行き届く部分などほんとうにわずかな範囲で。

 

森羅万象、あらゆるものの相関関係の中で生かされているわけですね。

 

さて表題の ご馳走様でした

についてですが、こちら食べ物をいただいたときのフレーズとして定着しております。食べ物に対しては、やはり殺生も含めて食するわけですので、その意味でも ”いただきます”と対になってます。

 

しかし本来の語源としては、

その文字の通り

馳せて (駆けずり回って) 走り、

お接待の準備をしてお迎えする 

ということに関してのねぎらいと感謝の意を示すもののようです。

つまりそれは、食べ物に限らない。

 

そうしてみると、なんと日本らしく、奥行きがある良い言葉じゃないですか^_^!!

 

ただね、なんだか現代って、

この馳走ってやつがやりにくいことになってると思うんです。 

必要なものを必要なぶんだけ、というミニマリスト的な発想になれば、余計な贈り物は嫌われる傾向があるし、

そもそもモノに溢れているし、流通網が発達したことで、どこでもなんでも手に入るようになったから、お金や商品券さえだせば。みたいな発想になってくる。

 

贈り主の”馳走”を想像する余白を持たなければ、関係性は薄れていく一方ですよね、、、、

 

贈られるものがなんであれ、

その方が自分のために、

「何が好きかな?」とか「何が似合うかな?」とか、 

きっと喜んでくれるかな?と考えて時間や手間を使ってくれたこと、そのストーリーが嬉しいわけですよ。 

 

そうゆうの、大事にしたいなと考えた師走。