永代供養とお墓とお骨

いい供養いつまでも。

東広島のお墓やさん、

わぴこのブログです^_^

今回は、お墓やお骨のことでよく耳にする”永代供養“について考察してみましょう。

永代供養とは?

そもそも、永代供養ってなんだろう?

読者様は、一体なんだと思われますか笑?

例えば先日は、お墓ではなくてお仏壇の処分とお炊き上げについて、永代供養を連呼されているお客様がいらっしゃいました。

お仏壇を永代供養、、、、

そういったサービス提供している寺院あるいは業者があるのかわかりませんが、

お仏壇に永代供養とはあまりそぐわないのではと思いました。

なぜならば、お仏壇は生活の中(自宅の中)にあり、家族単位で生きている私たちが利用するものだからです。

その家族のもとで役割を終えるときは、

お炊き上げ供養はしますけれどもそれ自体を永代供養とは聞いたことがありません。

一方で、わたしたち暮石店の取り扱うものは、暮石でありながらその実、”ご遺骨の行き場“をお世話させていただいてます。

遺骨の場合は、お炊き上げ供養で処分、とはいきません。魂の居場所に対する考え方は置いておきますが、

ご遺骨とは、その故人の物質的パーソナリティを記す最後のモノ ですね。

永代供養とはやはり、この遺骨に対することとするとわかりやすいかと思います。

宗旨宗派によっても、、、

さて永代供養が、”遺骨”つまり “お骨”のことについてのおはなしであるとしても、

まずもって “供養”ってなんぞや?

というところからお話を進めねばなりません( ͡° ͜ʖ ͡°)

ためしにウィキペディアみてみましょう。

供養(くよう)とは、サンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)の訳で、菩薩諸天などに燈明、飲食などの供物を真心から捧げること。

日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多い。これから派生して、仏教と関係なく、死者への弔いという意味で広く供養と呼ぶこともある。また動物等に対する供養、さらには針供養人形供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。

ウィキペディアより引用

ざっくりといえば宗旨宗派は別としても、

“死者を弔う” という表現がいちばんしっくりくる気がしますね。

しかしながら、日本においては信心のある方はおおむねなんらかの宗教に属してますので、やはりその宗旨宗派の作法にて 供養をしていただくという認識が多いようです。

例えば、

永代に渡っていつまでも、お坊さんがお経をあげてくれる

といった認識です。

これは決してまちがいではありません。

が!

まちがいではないのですが、実際は”依頼する寺院や業者によって違う“というのが現実のところです。

無縁にならないということ

僕の結論から先に言っちゃいましょう。

究極的には永代供養とは、

その遺骨が無縁(ほったらかし)にならない

ということです。

仮にご家族が何十年後、何百年後に途絶え、おまいりする方も墓守りも絶えてしまったら、まさにお墓も遺骨も”ほったらかし”状態になります。

永代供養とは方法は様々あれど、

もしご家族が絶えてしまったとしても、管理者として墓守り(遺骨の祭祀)を引き継ぎますよ、という意味合いと考えておいてまちがいありません。

でも、返す返すも宗旨宗派によって方法は様々ですからね。

建てたお墓をそのままでずっと管理してくれるパターンもあれば、

年数を区切り、その年数を満了後は合同供養墓へ合祀するパターンもあります。

また特定の宗派の寺院へ依頼するならば、永代に渡りお経を読んでくれる、というご希望に叶うこともあるでしょう。

だれかがだれかの世話をする

僕のところへ永代供養でご相談にいらっしゃるお施主様は、どなたも我が子供や孫のことを真剣に考えておられます。

子供に負担は残せれんけね

わたしらのことはわたしらでけりをつけときたい

と、様々な定番のフレーズがありますが、皆さまほんとうに深く色々なことを検討なさった上でご相談にいらっしゃってます。そのお悩みは決して軽いものではありません。

しかしながらお墓の管理とは、

負担とか迷惑でしかないのでしょうか?

いえ、さにあらず!ですよ!

あるご住職から伺ったのですが、

子供に迷惑かけたくないなら、だれに迷惑かけるんや?他人かい?

という言葉にハッとさせられたことがあります。

そうです、誰にも負担も迷惑もかけずにこの世から消えてなくなるなんて、無理なんです。

人は誰かの世話になり、誰かの世話をしながら社会を形成していますから。

そしてその世話 とは、 古代サンスクリット語では セーヴァー といい、 言葉が変わって サービス ともいわれます。 施す、お世話をすることは、とても功徳の高いことなんだそうです。

なのである意味、

子供や孫からその功徳を奪わないほうがいいともいえます。

これが、安易に永代供養を選ぶべきでない最大の理由なのかもしれません。

永代供養を選ぶにしても、跡取りにその埋葬地や家系の流れをしっかり伝えた上で、

「あとは頼むぞ」

といって、武士のように旅立てたらカッコいいし、残された者にとっても人生に気合が入ると思いませんか?

僕自身もなまけものですから、自分のためだけに自分の能力をフルに使うことってできないんです。 でも、家族やお世話になった人たちに応えるためには、頑張らなきゃ、と自分を奮い立たせるわけです苦笑(´∀`=)

はなしが長くなりました、、、、ついつい

ちょうど、あの伝説の漫画 “北斗の拳”のように。死にゆくときも仲間に志を託したり、生き様を示したりする様をみて「カッコええー、、、!」と感動するのです。

それと同じですね。

それでは今回はこの辺でおさめます!

東広島のお墓やさん

わぴこブログでした^_^