ブランドって言いたくない “地獄谷の大島石”

いい供養いつまでも。

東広島のお墓やさん、わぴこのブログです^_^

今回は、ぼくの出自である大島石産出元、山西石材からのプロダクトをご紹介したいと思います。

その名も、地獄谷の大島石

地獄谷の大島石 その前に

とその前に、まずは大島石のブランドにまつわる状況を軽く説明します。

このブログでも折に触れおはなしする大島石。この大島石自体がもはや一つのブランドではあるのですが、実はひとくくりに大島石といってもたくさんの事業者があり、それぞれ品質や特徴の違う大島石となります。

そしていつのころからか各社が独自のブランディングをするために、自社の大島石に特殊なネームを与え、品質管理をして打ち出し始めました。

最初のきっかけは、ぼくが認識している限りでは “石善“さんです。 当時は大島石はよく売れてましたから、殆どの方がわざわざそんなブランディングする必要を感じてなかったなか、いち早くそのように動かれたのは自社製品への誇りも理由としてあったのではないかと思います。

この石善ブランドはかたちを変えながら現在は大島石善として、大島石材工業さんが展開しておられます。何年か前までの、圧倒的な広報展開に度肝を抜かれた方は業界の中には多いと思います。

ブランドって言いたくない

ぼく個人の考えになりますが、ブランドって言葉から受ける印象があまり好きではないのです。

なんといえばいいだろう、

要はそれは”差別化”なわけですが、

「うちはこういうブランドです」

というふうに、自分で発信してるようなイメージ?

商品やサービスは市場に受け入れられて初めてブランド足り得るわけですし、自ら語るのなら、

「うちはこういうこだわりや想いで作ってます」

だけでいいのではないかと。

ひねくれてすみません汗💦

ブランディングってよく言われますが、何やらそれは”売り手側の都合”でしかないように思ってしまいます。売り手側の都合もそれは大事ではあるのですが。

あ!もうひとつ理由があった(*´-`)!

こちらのほうが本題かもしれませんが、ブランドって一つの手段だと思うんですね。それをゲットすることで得られる何かの体験のための。 例えば満足感、充足感、安心、かっこよさ、社会的印象など。

でも時代は今、手段や体験よりも本質的な価値へと移行してる感覚があります。

ここで下手に手段としてのブランドを作ると、かえって時代や流行が変わる時に廃れてしまうのでは?と思うのです。

こんなことをここでおはなしする必要があるんかいな?と自分でツッコんでしまいますが、まあここは大事なところです。

お墓とは本来、とても本質的でプリミティブなものでなければなりません。

その原点にかえるときがきたのです。

ぼくは大島石を愛していますから、

大島石の本質を究めて進化させ、エバーグリーンな価値にしたいのです。

大島石ブランドが採る戦略は

現在は、大島石の採石業者も各社ブランド化を図っておりますから、その意味では昔よりもカタログや販促物などのサポート物資は多くあるかと思います。

その殆どで謳われていることは、概ね以下の3つに集約されます。

*石の品質

*ストーリー、人

*管理体制

ここで言う 石の品質と管理体制は、ある程度重なる部分です。ただ 石の品質 =その場所から出る大島石の特徴を捉えたもの であり、 管理体制 = その中でのランクわけ、不良品などをしっかりはじく目 ということが言えると思います。

しかし多くの暮石小売店の立場からすると、極論は

品質と値段のバランスがとれていて、間違いのないもの

さえ納品されれば、ブランドのストーリーだ想いだなどは正直余計で、べつだん必要ないものです。

これをぼくが言えるのは、自分でも実際にその現場に立っているからです

また、暮石がばんばん売れている時代ならば

「うちの店は、他所にはないこのブランド石があるんだゼ!」という差別化の要望も多いでしょう。

しかし今はそんなにばんばん売れる時代ではなく、差別化よりも、その先の本質を如何に満たすかが望まれていると感じるのです。

地獄谷の大島石

さてそんななか、我が社の採掘する大島石に、独自のネームを与えて新たな提案を行うこととしました。

その名も、”地獄谷の大島石“。

この名前は、実は大島石をよく知る方には馴染みのある名前です。なんとなれば、山西石材の石は “地獄谷”と呼ばれる場所から採掘されるからです。

温故知新、原点にかえる考えから、

その名前としました。

「地獄って、、、、恐」

と思われる方もいらっしゃると思います苦笑

しかし、勝手にとってつけた名前でないことはご承知ください!(^ ^)

続く!

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