量子力学、土着文化により

お墓をアップデート!(有)やまにしです^_^

お墓と量子力学の関連性はこれまでも話題に上げてきたことをご存知と思う。

 

その内容は今でも興味深く掘り下げているが、最近新たな発見があったので共有してみることとする!^_^

 

量子力学は、自己実現や自己啓発に紐付けられた理論や思考プロセスが数多くみられる。

またそれらは国境もなく、様々な土地の研究者により紹介、翻訳されているようだ。

 

で、最近よく視聴しているのはこのチャンネル。

ユニバース・イン・アクション

主に、ジョー・ディスペンサ という方の理論紹介が公開されている。AIの読み上げだが、とても心地よい声なので聞きやすい。

 

しかしながらジョー・ディスペンザの理論に対しては世間的に批判もあるようだし、取り違えをすると過度な自己責任論に陥ることもあるようなので、決して完璧ではなくそれを使用する人次第ということだろう。

 

ただ今回の投稿で共有したいことは、そこではない。

 

同じような”禅”の考え方や量子力学を用いても、それを解釈する人の土着文化が違えば、やはりニュアンスが変わる、ということだ。

 

具体的には、、、

◉ ディスペンザを含む西洋的発想(支配モデル)においては、、、

世界は「操るもの」 という観念や、

支配や所有の概念が強くあるため、

自己統合にて世界(自分以外)をコントロールするかのようなエネルギーに見える。 

 

それに対して

◉ 日本的・禅的発想(同化モデル)においては、、、

世界は「すでに調和しているもの」

自他の境界を越える

支配、所有ではなく調和と共存

の意味合いが強くあるため、

自己統合にて、すでにあるがままの世界に調和していく、というエネルギーに見える。

 

説明、言語化は難しい。

ニュアンスは受け取ってもらえたら。

 

ディスペンザ的理論の方が、なんというか答えが近くにあるようで落とし込みやすいと感じるのは、自分も西洋文化に感化されてきたからなのか。

ただ、日本的な”禅”の教義や量子力学理論は、さらにその深淵にあるような。難解なものをはらんでいると思う。

たぶん、突き詰めると辿り着く先は同じなのだろうけど、やはりその運用方法が違うということだろうか。 

 

とある僧侶の説法で、

“日本仏教は森。 一神教は砂漠と太陽のような世界” といったニュアンスのことを記憶しているが、その辺からしてこの内容と繋がるところがある。 

 

そして自分は、

世界を支配コントロールするよりも森の一部であることを知る。

ゼロ百の偏りではないが、どちらかといえばそのほうがカタルシスを感じられるような気がしている。

また、せっかく日本人なのだし。

日本土着信仰に準じた目線で、物事を見ていきたいと考えているのだ。