着地させないほうが良いこともある

 

東広島のお墓屋さん 有限会社やまにしです^_^

 

土地によってもお墓の慣わしは違いますが、

お墓のひとつの作法に

ごひら

というものがあります。

これは、お墓の縦横寸法をわざと少しずらして、正方形にしないやり方を指します。

 

その意味するところは?

それは、満ちれば欠ける月のように、

完全なる造形はそこからは欠けていくばかり。

だからこそ、わずかの不完全な余地を残して、”満ちていく”願いをかけるのです。 

 

この作法は形状にとどまらず、

例えば磨きの加工にしてもビカビカのツヤツヤの完璧に仕上げてしまうと、あとは経年で掠れていくだけですから、あえて研磨の番手を減らし、ピカピカの一歩手前でおさめておく、という場合もあります。 

 

いずれも、あえて完璧までつくらないことで、成長の余白をつくるということですね。

この考え方はとても奥ゆかしくて好きです。

 

一方でいまや科学技術の発展は恐ろしいまでの領域に達し、それは一般人にはわからないうちに、シンギュラリティポイントに到達しているのかもしれません。 ほぼ神の領域とまで言えるほどに。 

 

しかしながらその弊害として、

未知の世界への畏怖

のようなものが、現代人とくに都会に住む人から欠落していっていると危惧する説もあります。 

 

あれもこれも全て掌握し、

余白がない状態とは、

つまりは願いや夢をかけることもできないと思います。 

 

願いや夢とは、私たちには不要なものでしょうか?願いや夢を想像する余白があるからこそ、自分とは違う他者を慮ることや、大切にすることができるのではないでしょうか。 

 

願いとは、支配や介入ではありません。

支配や介入ができない未知の領域があり、そこへの畏怖の念があるからこそ、

儚い願いを託すのです。 

そしてそれは、美しくて尊い文化だと思います。