神社仏閣とお墓
東広島のお墓やさん、有限会社やまにしです^_^
量子力学とお墓シリーズ!
前回までのお話にて、
お墓の機能とは
ワンネスとのチャネリング
との考察をしました。
そこからの関連のお話になります。
さて皆様は、お墓にいっておじいちゃんおばあちゃんにお願いごとをしたり、
はたまた受験シーズンになると学業の神様が祀られる神社へ行き合格祈願など、されますか? されますよね?^_^
で、これらの根拠についてです。
昨今の都会的な死生観の方にとっては、
“死”=”無に還る”という割り切った考え方も存在します。
この場合には、死んだおじいちゃんやおばあちゃんは”無”なので、お墓参りとかしてお願い事しても意味がない、ということになりますが、厳密には”ご先祖様はお墓にはいないけど心の中にはいるので、心の中でお参りや願い事をする”という見方もあります。
しかし妙なことに、こういった場合にも神社仏閣には願い事をしに行ったりします。
これは日本の特有の宗教観でもありますが、
クリスマスも祝うし、ハロウィンもあるしで、まあ自由なわけです。
しかしながら、以前より紹介させていただいてますこちらの書籍
先祖の話 によりますと、
人が死ぬ時、
①まずはその家の先祖になり
②いずれその土地の氏神となり
③やがて神へと同化していく
みたいなストーリーを、
我々日本人は紡いできているようだという文献となっております。
そう。
ここでいう③の状態を仮にワンネスとするならば。そういうことです。
ご先祖様も、氏神も、ご利益ある学問の神様も、本質的には一つの線で繋がっていて、同じものであるという見方となります。
もしそのワンネスに、私たちを救ってくれる智慧とか、願い事へ応えてくれる力があるとするならば。それはもしかしたらまだ完全にワンネスに同化されず、”個性としての自我”を保持していると考えられる 「ご先祖さま」の状態のほうが、かわいい子や孫の願いを聞き届けようと必死に働きかけてくれるかもしれませんね。
言い方を変えるならば、
作法としてわかりやすい(簡単)ということなのかも。
逆にいいますと、ご先祖様を介さずにワンネスと繋がるのは、できるはずではありますが特殊な作法が要る、ということなのかもしれませんね。
※浄土真宗では死せば即極楽浄土へ 他宗派では、死するとまずは仏門の修行の身となる、などの違いがあったりしますが、そのへんも大変面白い考察ができそうではあります。
つづく!