信心と免罪符は裏腹

お墓をアップデート! (有)やまにしです。

昨今は、お墓の在り方も大きく変わり
少子高齢化になればどうしたって、今までのようなお墓の維持が難しくなっていることは当然でもある。

また、経済的な縮退も決して無関係ではない。
そんななか日々お墓に関する相談を受けるけれども、

多くの方がお墓の在り方に一種の不安観念をもっていることは言えると思う。

社会的影響力のある人が、墓じまいを選ぶ。
その意見に世間は追従し、浸透していく。

我々サービス提供者サイドも、その流れに火をくべるがごとく

墓じまい 〇〇〇円~    とか
永代供養 〇〇〇円     とか

煽るわけで。

いまの業界の現況、なるべくしてなっているといえる。

ただ幾度となくお伝えしているが、当方は決して墓じまいを否定しているわけではない。

なんとなれば、墓じまいとはいっても 墓がなくなるわけではないからだ。

それは、自分が責任をもって管理する”墓石”などがなくなるだけで

先祖を祭る 遺骨を納める ”墓”は、形を変えるだけでなくならないわけである。

また世にいう ”永代供養”というものの実態は、

その先祖遺骨の祭祀、つまり管理権限を手放し、他者に委ねることを指す。

それだって悪いと言っているわけではない。

永遠に続いていく家など、そうそうないわけだから

どの家も、必ずいつかの段階でそうなるし、そうすべきである。

そのことを理解して、

投げやりにならず、

先祖の子孫であることに誇りをもって、

次なる供養様式へ ”託す” ことを意識するとよいと思う。

子供に迷惑や負担をかけられないから、、、、、 

お参りに行けないなら墓をもっててもしょうがない、、、、

とよく聞くけれど

それは、墓から逃れたいがための免罪符のように聞こえることもある。

ともあれ、今の時代において”墓”とは、
過去から相対的にみれば、たいへんに

重く

なったのだろう。

その意義、その概念が。

だから、”重くない”墓を提案したいと考えている。

ここでの重さとは、 墓石の重量や大きさと無関係でもないけれど それよりも、

概念としての重さだ。

軽いことが、決して先祖に対して礼を欠くものではなく、

軽やかで涼やかで、それでいて”いい供養”となるようなお墓。いいじゃない。

その先 を見たいし見せたいものだ。

東広島のお墓やさん (有)やまにし