それぞれの物語
いい供養いつまでも ㈲やまにしです。
お盆のラッシュも終わり、墓地は落ち着きを取り戻してきた。
しかしながら7月には近親者の葬儀があったりと、まだ慌ただしくしているところでもある。
冠婚葬祭が人の縁をつなぐことは否定できないなと感じている。
ふだんはいがみ合ったりしていても、冠婚葬祭だけは別だ、と考えることはできる。
自分は広義では葬祭業に身を置く立場なので、
日々多くの家族の葬儀に立ち会ってきている。
墓石も取り扱っている以上、葬儀の時のみならず、そこから後の家族の在り方にも立ち会うこととなる。
そんな自分が、今回はお客様の立場になり、
葬儀の段取りサービスを受けることとなった。
おおむね提供されたサービスには満足したといえる。
しかしながら、ひとつだけ最後に気になったことがあった。
もろもろが終わった段階でアンケートへの記入を依頼されたのだが、その内容である。
いろんなセクションにおいて5段階評価のようになっており、
そのいちばんよい評価は ”感動レベル” だったかな? そういったふうに記載されている。
基本的に満足はしているのだが、この書き方だと正直ここに○はできない。
それは、5点満点のサービスに5点がつけられないということではない。
葬儀に感動があるとしたら、その根幹は人に与えられるものではなく
自分自身と家族の織り成す物語にこそあるのだと信じて疑わないからだ。
しかしながら、企業としてお客様の声を集め利用したい意図はわかる。
今は例えば、同業他社のgoogle口コミなども見ても、まあ明らかに作為的にレビューされている内容が見られたり。
他者を落とすことで、自分をヒーローのように仕立てあげたり。
感動の押し売りのような、「いったい誰が主人公なの?」と疑いたくなるような内容も。。。。
それらに比べれば実に控えめなものだといえなくもない。
今は、いろんなことが変わろうとしている。いや、転がるように変わっていく真っ最中だ。
葬儀もお墓も、ある意味でとても”自由”になってきた。
それはときに土地の習慣や伝統を否定していく方向性になってしまうところがある。
なんでも簡素化していいものではないとは思うが、簡素化しなければならない理由が切実なことも理解できる。
しかし、自由であるならば逆に、
立派な墓を建てたい人は建てる自由があってもいい。
立派な葬儀をあげたい人はそうする自由があってもいい。
何もその価値を手放して、時代に流される必要はないのだ。
正解や、優れていることの物差しが自分ではなく社会にある段階がそろそろ終わりに向かい、
ものごとの価値があなたの手元に返ってきているということでもある。
だから何だ、ということでもないが、
自分の物語を信頼して、日々を大切に生きて楽しんでほしい。
誰に言われたからでもなく、そうして自分の物語をつないでいくとき、
葬儀にしても、お墓にしても。
きっと素晴らしいものとなるはずだ。
それは、ひとつなぎのものなのだ。
㈲やまにしとして提供する葬祭サービスは、
そんなあなたが主人公なのである。 我々は黒子です。当たり前だけれどね。