叔父の形見を
お墓をアップデート!(有)やまにしです。
叔父が亡くなってからもう何年になるだろうか。叔父はクラシックギターをこよなく愛する人で、私の父もその影響を受けてクラシックギターに興じていた。
またその趣味が高じて、先生に来てもらい、クラシックギターの教室を催したり、、、
この件での想い出は事欠かない。
また、自家用車で再生するカセットテープには、決まってクラシックギターが流れていたものだ。
さてその叔父の形見の中には、大量のレコードがあり、最近ようやくにして、それをちゃんと聞いてみようかということになった。
というのも、我が家にはレコードプレーヤーがなく、それを準備するところからのスタートだったわけだ。
初めてのことで、何を買っていいやらわからない、、、お金をかければそれだけいい音なのだろうけど、まずは入門!ということで、とりあえずは再生装置とスピーカーを買ってみた。
そうして準備万端、
いざレコードをひっぱりだしてみると、、、
一気に子供の頃の家族の想い出がブラッシュバックした。
そして、その想い出をつくり繋いだのは、叔父からの韻があってこそだったのだと。
おそらくは、これでも絞られた選抜レコードなのだろう。叔父が好きだったであろう演奏家のレコードで締められている。
アンドレアス セゴビア
ジュリアンブリーム
ジョンウィリアムズ
エルネストビティッティ、、、
この中でなぜかジュリアンブリームだけは、子供の頃の想い出とリンクしていない。(もしかしたら父の嗜好とは違っていたのかもしれない)
ああ思い出す、、、
家族で乗る車、
その匂い、
その音。
そのカセットをダビングした元データは、ここにあったんだ。
これを聞きながら父も一言。
「これを使ってやることが供養じゃな」
と。
それが、家族の想い出を呼び起こす装置であることも大切なことだ。
さてそのレコードの中にある、
アンドレアス、セゴビア。
クラシックギターの界隈ではまさに歴史上頂点に君臨するかのような存在だ。
技巧、表現、奏者としての在り方、
現代へ至るその起源を形作ったかのような存在とみている。
単純に演奏の正確さや速さなどを比べれば、もっと高みへいった奏者はたくさんいるだろう。
しかしながら、それでもセゴビアの存在が脅かされることがない、格別のものがある。
私も素人ながら、その理由をずっと考えていたことがある。なぜセゴビアはこんなに特別なのだろう?と。
このレコードを聴きながら、
ひとつの表現に行き当たった。
セコビアの演奏を一言でいうならば、、、
「まるで魔法にかかったような」
演奏なのだ。
そしてそれは、枝ではなく幹に、
遠くよりは内側に、
心地よく引き寄せられるような感覚がある。