横軸は比較の世界。縦軸は?

 

東広島のお墓やさん、有限会社やまにしです^_^

 

このほど、弊社のオフィシャル広報キャラクターをデザインしてみました。

何を隠そう、AI大先生に依頼して描いたものです!

これから小変更やポージングなど与えていくと思いますが、彼らの活躍と成長をぜひ見守ってくださいね。

※実は名前もまだ確定しておりません笑

 

さて、ずっと忙しいとこういったブログをはじめ情報発信もなかなかできなくなるのですが、

最近はちょっとアウトプットを多くしたい気分なので、今日もコラムとして投稿します。

 

 

コラムなので、割と思うがまま脈絡を無視していきますが、

最近特に、この方の言動が気になっています。

 

業界では割と有名な名物社長ですね。

こういったYOUTUBEメディアで露出するようになるよりずっと前からこの方のブログなどは拝見しておりました。

わたしもいちファンといって差し支えないと思います。

 

つい最近は、STIから発表されたS210について物議をかもしていて、

論調が盛り上がっているようです。

 

わたしも何年もこの方の発言を見てきていて、ずっとにわかに感じていた違和感があったのですが、

つい最近その理由に気づけたので共有します。

 

相対価値ではなく絶対価値

この方のスバルに対する見識、とくに歴史やアーカイブの引き出しの多さと深さにはいつも感嘆するばかり。

車の開発において、その時期に関わった担当者のエピソードまで交えて話せる人が他に誰がいるだろうか?

当然こちらは、その担当者の顔も名前も知らないわけですが、

この代田社長が紹介する”車両に関わった人のエピソード”は、

たしかにその車両に価値を与えている。

視聴している自分たちは、

誰かわからないけど、なんかすごい辣腕の開発主任がいて、そのチームの熱量で、

こんなすごい車が誕生したんだな、、、」と感じるわけです。

 

そして大切なことは、 

ここで感じている”価値”には、”比較の観点”がないということなんです。

もしかしたら同じ時期、他メーカーの車両で、比較すればより優れた技術や性能があったかもしれない。

でも、そうだとしてもこのストーリーに対する感性価値は棄損されないんです。

 

より正しく、より優秀で、より早く、より正確に、、、とばかり求められる昨今。

そういった比較の土俵から離れ、独自価値を見出せるもの。

それはきっと誰しものアーカイブのなかにあるんだ。

しかしどうやって、それに気づけばいい?

どうやってそれを生活に落とし込めばいい?

 

いやそもそも、、、

お墓にとって本来いちばん大切で、

現在多くの人が失いかけている本質とは、

この話の奥に潜んでいるのではないだろうか?と。

  

 

 

「韻を踏む。」

これは今回このコラムを書くきっかけともなった一言です。

S210に対しての評価動画の中で、幾度となく氏が発言されているこの言葉。

何度も聞くうちに、

あっ、、、、、、  そうか。そういうことか。

と腹に落ちました。

 

お墓や家に置き換えて考えると、

継承する」 「引き継ぐ」または「相続」といった言葉がよく使われます。

しかしながら昨今はその言葉の重さに対して、次世代が耐え切れなくなっているように感じます。

それもそのはず、お墓や家の継承と「人口、景気」は密接に関係しておりますから。

 

でも「韻を踏む」ことは、たぶん「継承する」こととはかなりニュアンスが違うんです。

そして今こそ、お墓についてもこの「韻を踏む」ことが求められる時代なんじゃないかと思ったわけです。

 

さてこの韻を踏むためには、

やはりその”本質”を見抜かなければなりません。

本質とそれを取り巻く外乱とを見分けて、

本質のほうにフォーカスすることだと。

 

でもね。本質ってきっと、

「変わらない」 ってことじゃないんですよ。

姿かたちは変わることもあります。

本質とは、デザインでもないし、手段でもないからです。

ここが難しいところですよね。

商売をしていていろんな人と関わっていると、

「あ、この人は本質を察知する能力に長けているな」と感じる人に出会うことがあります。

枝葉にとらわれず、”本質が本質たりえているか”に常にフォーカスしている。

自分含めて多くの人は、ときに本質ではない枝葉のゆらぎに影響されて、本質ごと変わってしまうことに気づけないことがある。

 

そう、それではいけないんだ!

 

韻を踏むとは、つまりは

”本質をとらえること”

と言い換えられなくもないと思う。

 

 

その価値を”尊さ”と名付ける

お墓の価値とは、突き詰めると

尊さ

という結論に至っています。(いまのところ。。。。)

 

尊いものって、なんだろう?

天皇陛下?

歴史的建造物?

家族?子供?親?

そのどれもが尊いといえますが、同時にそのどれもが尊くあるためには、

”時間的な縦軸”を必要としているものとなります。

逆に言えば、相対的評価”横軸”では、その価値を図ることができないものだと思います。

 

これらの尊さは、

”韻を踏む”ことを繰り返していった結果として

または、

”これから韻を踏むであろう存在に対して”

宿るものだから。

逆にいえば、

物事の本質を見極め、

その韻を踏んでいかなければ、

 

縦軸の絶対価値としての”尊さ”とは、

すり減って忘れられて、やがて消えてしまうものだと思われるのです。

 

 

 

 

縦軸の絶対価値からしか生まれないもの

 

ここまで読んでくださればお感じのとおり、

尊さとは、”比較”の中では生まれないのではと思うのです。

横軸の相対評価、つまり優劣や比較ではなく

縦軸の絶対評価、主体価値にのみ、それが育つ土壌がある。

 

それは、

家族単位

所属会社単位

町単位

国単位

それぞれのフェーズがあると思います。

 

お墓に関しては主に家族単位のものではありますが、

その作法や習慣、かたちなどについては、

国の習わし、

土地の習わし、

一族の習わし

といったそれぞれの作法があり、

過去から韻を踏んでつながれてきたものといえます。

 

だから、尊さを保つためには

ときに守らなければならないものもあるということです。

過去からつながってきた作法や道筋とは、

”尊いもの”を守り育てていくためにあるといえます。

それはあなたを支配し、自由を阻害するためのものではありません。

しかし現代社会においては、ときにこの”韻を踏むこと”がとても難しく、

むしろ韻を踏むこと自体がまるで老害のように扱われることすらあるかもしれません。

(とくに現代は、そちら側に仕向けようとするエネルギーの傾向を強く感じます。)

 

しかしその中には、あなたにとっても大切な”尊さ”を守っている成分もあるということなんです。

そしてその尊さとは、油断をすると簡単に消えてなくなってしまうのです。

それも、そうと気づかぬうちに。 

 

 

 

本質を見極め、韻を踏む。

 

短期的に見える”枝葉”にとらわれていると、

ときに”韻を踏めなく”なり、

ひいては”尊いもの”をなくしていくことにもなりかねません。

 

今回はスバルの車を元ネタとしたお話になりましたが、

このブログで取り上げる以上は、

”お墓”の価値につながる考え方があります。

そしてお墓の本質とは”尊さ”であり、

その”尊さ”とは、比較の相対価値とは違う、絶対価値であるということです。

 

現代はあらゆる意味でストレスフルですし、

自信を失うことや、

外に出られなくなることや、

心が疲弊して歩けなくなることもあるでしょう。

それはある意味で、比較の相対価値ばかりで追い詰められた結果といえなくはないでしょうか。

競争の原理も全く不要とはいえませんが、

現代はあまりにも、この”尊さ”という絶対価値を軽く見すぎているということなのかもしれません。

 

これを読んでくれているあなたも一緒に、

もしよければここから少しずつ、取り戻していきませんか?

 

その悩みは意外と、お墓と無関係でもなかったりします。

 

 

 

いい供養いつまでも   つづく